鳥取信和教会
「 渇き 」  牧師 森 言一郎(日本キリスト教団 旭東教会)
ヨハネによる福音書 4章1節〜26節
 
 〈サマリアの女〉と呼ばれるこの女性は、井戸辺で水を求めて居られたイエスさまと出会います。【水を飲ませてください】と頼まれたのです。ところが、いつの間にか話が逆転します。【この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかしわたしが与える水を飲む者は決して渇かない…】というイエスさまの言葉に触れた女性は、【主よ、渇くことがないよう…その水をください】と叫ぶのです。

 この女性が複雑な苦悩を抱えながら生きてきた人であることは、【あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない】という主のお言葉から明らかです。わたしたちも、語ろうとすれば疲れ果ててしまうような何かを抱えながら生きています。親にも、人にも、先生にも相談できない何かを抱えている存在です。サマリアの女とは、渇き切っている何かを抱えているわたしたち自身を指し示してくれる象徴的な存在なのです。わたしたちは礼拝においてこそ自分自身の「渇き」を認め、イエスさまと出会い、「その水をください」と叫ぶことです。「まことの礼拝」はそこから始まります。

 主は全てを完成される十字架の上で「渇く」(ヨハネ19:28)と叫ばれます。このイエスさまの「渇き」は、わたしたちの救いのために命の水を注ぎだしてくださるための「渇き」です。感謝いたしましょう。
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