「主の家族」
「ルカによる福音書8章16〜21節
(1)あかりのたとえ。
イエス様は種まきのたとえに引き続いてあかりのたとえを話されました。これは御言をしっかりと守っていくことで自然とキリストを証しするとされることを示したものです。御言に従っていくならば、何をするからでもなく、何を言ったからでもなく、キリストの香りを放つ者とされるのです。「だから、どう聞くかに注意するがよい」(18)。
(2)主の家族。
イエス様の母マリヤとヤコブなど兄弟たちがイエス様のもとに訪ねてきました。兄弟たちは、今まで一家の大黒柱としてあるいは父代わりだったイエス様が突然宗教活動を始めたことに困惑していました。そこでイエス様を引き戻そうとして来たのです。
(3)御言を聞いて行う者
するとイエスは人々にむかって言われた、「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」(21)。けれどもイエス様は彼らに会おうとすることなく、ここに集う神の御言を聞いている者たちこそ本当の家族であると示されました。これは家族をないがしろにしなさいと教えているのではありません。家族の中心に御言をおきなさいと 勧めているのです。
また、御言を信じる者はだれでもイエス様の家族とされていることを示しています。私たちはそれぞれ違った歩みをしてきましたが、イエス様を長兄とするひとつの家族なのです。御言に従って、互いに許し合い、祈り合う歩みをしたいと願います。