「アブラハムのとりなし」
創世記18章22〜33節
(1)主の御旨。
主はソドムとゴモラを滅ぼされることを計画しておられました。それはソドムとゴモラの人々が罪を犯し続けていたからでした。けれども主は滅ぼすことを喜んでおられたのではありません。人々が悔い改めて生きることを望んでおられたのです。そこでアブラハムにとりなしをするようにとそのことを告げられました(18〜21)。
(2)アブラハムのとりなし。
「アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」」(32)。
アブラハムは、主の御旨を知り、ソドムやゴモラの人々、甥のロトたちを思いやってとりなしの祈りをしました。50人の正しい人から始めて10人いたら滅ぼさないように主に求めました。そこで主は主に従う人が10人いたら滅ぼさないと約束されました。
私たちも他の人のためにとりなしの祈りをするとき主は聞いて下さるのです。それだけでなく今もイエス様が私たちのために天の右の座についてとりなして下さっています。
(3)見ずに信じる者。
アブラハムは祈った後、結果を見ずに帰りました。アブラハム自身もどうなるか見たい気持ちがあったと思いますが、主に信頼して平安を得て帰ったのです。
私たちもアブラハムのように祈ったことを必ず聞かれると信じて主に委ねていく者でありたいと願います。