「放蕩息子の帰郷」
ルカによる福音書15章11〜24節
(1)放蕩息子。
今日のたとえ話は皆さんよくご存じだと思います。二人の息子は人間を表し、父は神様,イエス様を表しています。弟は放蕩、自分勝手に生きており、兄は父の元にいて忠実な生き方をして対照的であるように思えます。けれども兄弟二人とも父の愛を知らないことにおいては同じです。兄のうらやみ怒っている姿は、どうしても他の人と自分を比較してしまう私たちの姿です。神様はそれぞれにふさわしい賜物を備えておられます(31)。
(2)帰郷。
財産を失った弟は、豚の世話をするようになりました。今日の私たちにはわかりにくいことですが、豚の世話をするということはユダヤ人にとっては汚れた動物を世話しなければならないので屈辱的で最悪ともいえることだったのです。そこで食べるものにも困った弟は本心に立ちかえって父の元に帰ろうとします。
(3)父の愛
「そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した」。ここに神様の姿を教えられます。神様は、私たちが神様を忘れて生活していても私たちを愛していつも目に留めて下さっているのです。そして、私たちの人間的な思い(17)にもかかわらず私たちに最善のものを与えようとして用意して下さっているのです(22,23)。
私たちも主に立ち返りいつも与えて下さっている恵みに生きるものでありたいと願います。