「和解の使者」
コリント人への第二の手紙5章14〜21節
(1)キリストの愛。
コリント教会ではパウロを使徒と認めない人たちが出てきました。しかし、パウロは敵対する人々をも含めて「わたしたち」と述べています。ここに私たちが平和をつくり出すため秘訣が記されています。パウロは、自分自身と同じ立場、イエス・キリストにある者として認めているのです。パウロはその理由として「キリストの愛がわたしたちに強く迫っているから」と記しています。キリストが私たち一人ひとりを特別に愛して、死んでくださったのです。
(2)和解の福音。
私たちはキリストにつながる者として肉(人間的な判断)によって知ることをせずに、お互いに新しくされた兄弟姉妹として認めていくように勧めています。神様は、キリストにあって私たちの罪を赦し、神様と和解し和解の福音に生きる者であると告げています。私たちは、神様と共に生き、隣人と平和を築く者として今導かれているのです。
(3)キリストの使者。
「神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい」(20)。私たちが神様と本当に和解しているならば、他の人と平和を築き、和解する生き方が出来るのです。けれども私たちの現実の姿は、そうでないことを覚えます。その私たちになおパウロは「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである」と宣言しています。私たちが自分たちの弱さを知って神様に求めていくならば神様は必ず私たちを「神の義」としてくださるのです。