沿革
①鳥取基督伝道館設立
鳥取信和教会は、1925(大正14)年9月23日、当時上町にあった鳥取市公会堂において、柘植不知人師を迎えての「聖会」が行われたことをその歴史的な源流としています。そして同年には「鳥取基督伝道館」が上町に設立されました。しかしその後の伝道館は、すぐに混乱期を迎え、数年の間に幾人かの牧師が入れ替わり、場所も県庁前、掛出町、職人町、西町と転々とするなど、不安定な時期を過ごしました。しかしそんな苦しい中にあっても、西田光子姉、田村なみ姉を中心に、松本春子姉らを加えた少数の信徒の熱心な祈りと敬虔な信仰によって支えられ、活動が続けられていました。そして1934(昭和9)年に今村源三郎師が赴任すると、翌年に伝道館は西町から元大工町に移転し、ようやくこの頃から少しずつ落ち着きを見せ始めていました。
②日本基督教団編入
1941(昭和16)年に日本基督教団が発足すると、伝道館は「日本基督教団鳥取東部伝道所」として認可を受けました。ところが戦時中の1943(昭和18)年9月10日に起きた鳥取大震災により教会堂は全壊、信徒の家庭も大打撃を受けました。また戦後では1952(昭和27)年4月17~18日に起こった鳥取大火によって、再び教会堂は全焼し、さらなる大打撃が教会を襲いました。しかしこのような戦中、戦後の混乱期にあっても牧師の家庭や信徒の家庭において、礼拝、祈祷会などの諸集会は守り続けられました。
(その後も鳥取東部伝道所は、立川町、正蓮寺へと拠点を移しながら引き続き伝道活動が行われていましたが、今村源三郎師の引退に伴い、1982(昭和57)年5月26日をもって閉鎖され、今村師は鳥取信和教会に加わりました。)
③鳥取玄好町伝道所創立
このような中、1942(昭和17)年に東品治町の松本郡司兄、きみ姉宅において家庭集会が始められました。この家庭集会は松本宅の転居に伴って西町、玄好町へと移転しながらも続けられ、導かれる方々も多く起こされて1つの群となり、1955(昭和30)年1月16日に「日本基督教団鳥取玄好町伝道所」として創立されました(この日を鳥取信和教会の創立日としています)。
④2つの群の合同
さらに同じく1955(昭和30)年には、また新たに吉方の田村なみ姉宅(鳥取信和教会の現在地)においても家庭集会が始められました。こうして玄好町の伝道所と吉方の家庭集会の2つの群が同時進行で活動する中、次第に合同の話が持ち上がり始め、1957(昭和32)年4月の合同をもって教会名を「日本基督教団鳥取信和伝道所」と改称し、田村姉が土地を献げられたことによって場所を現在地の鳥取市吉方325番地と定め(のちに地名変更により吉方温泉3丁目604番地となる)、さらに5月には内藤仁美師を初代牧師として迎えるなど、新たな体制を整えて歩み始めました。この時代、米子錦町教会の絹田元吉師が代務者として教会を支えて下さいました。
⑤第2種教会認可
その後西岡安子師を挟んで、1960(昭和35)年11月に柳澤菊代師が主任牧師として赴任されると、早速、日本基督教団へ第二種教会の申請を行い、翌1961(昭和36)年4月に認可を得て、教会名を「日本基督教団鳥取信和教会」と改称し、同年6月25日に鳥取信和教会の設立式と柳澤菊代師の牧師就任式が同時に執り行われました。
⑥会堂建築
次第に会堂が手狭となってきたことを受けて、1962(昭和37)年12月に新会堂建築のためのコイン献堂献金が始められました。そして1964(昭和39)年9月に旧会堂の家屋を取り壊し、新会堂建築のための第1期工事が始められ、同年12月に玄関と2階和室が完成すると、落成記念感謝会とクリスマス祝会が開催されました。さらに、ここから引き続き礼拝堂建設に向けての祈りが積まれ、1966(昭和41)年7月に礼拝堂建築のための第2期工事が着工され、同年12月に完成しました。そして翌1967(昭和42)年5月13~15日に、新会堂献堂記念聖会が開催され、14日に献堂式が執り行われました。
⑦現在の信和教会
26年間の長きに渡ってご奉仕された柳澤菊代師が、1986(昭和61)年3月に牧師職を辞任し引退されました。その後の信和教会の牧師は、菅原正夫師、西田 睦師、願念 望師へと受け継がれ、2年間の無牧時代を経て、小島清子師、廣田崇示師が担ってくださいました。そして2023年4月より塚本 望師が主任牧師として赴任され、現在に至るまで活動が続けられています。
(牧師に関する詳細はこちらをご覧ください。 )
「信和」の由来
玄好町と吉方の2つの群が1つの群として合同される時、教会の名称についての話し合いの場が持たれました。その際、2つの群から出されたそれぞれの案が、「親和」「信和」と文字は異なったものの、奇しくも異口同音に「しんわ」でありました。話し合いの末、「我々は『信仰によって和した』のだから」との一致をもって、「鳥取信和」という名を主により与えられ、これをもって教会名称として定めました。わたしたちは主イエス・キリストを信じる信仰によって、違いを超えて1つとされた教会です。
「祈り」
鳥取信和教会は「祈り」を大切にしています。礼拝において説教前の祈りの際には司会者だけでなく、有志の方々が次々と示されるままに連鎖的に祈りをささげています。これには時間制限を設けていません。ですから時には長く祈りが続いて礼拝の時間を押すことがありますが、それだけ1人1人が神に対して祈る時を大切にしています。
キリスト伝道会「活水の群」
英国国教会宣教師であるバークレー・F・バックストン師の指導を受けた救霊と神癒の器、柘植不知人師は、聖霊の導きにより1923(大正12)年「基督傳道隊」を創立しました。しかし1927(昭和2)年に柘植不知人師が召天すると基督傳道隊は一時解散することとなりました。その後様々な経緯をたどりましたが、1962(昭和37)年に旧基督傳道隊の教職者と諸教会が再結集して、友好団体「キリスト伝道会」が設立されました。この「キリスト伝道会」には、当時日本基督教団に属する教会と日本基督教団を離脱し単立となった教会とが共存していました。
その後1982(昭和57)年に活水の群独自の神学校「活水聖書学院」が設立されたことを契機として、単立教会等を中心に一致結束の機運が盛り上がり、1987(昭和62)年に柘植不知人師の信仰を継承する新教団「キリスト伝道隊」が発足されました。
(キリスト伝道隊に関する詳細はこちらをご覧ください。 )
その一方「キリスト伝道会」は、「活水の群」の流れを汲む教会、教職者同志の「友好団体」的性格から「伝道する団体」への飛躍を願い、1991(平成3)年4月に新たに伝道団体「キリスト伝道会『活水の群』」として発足されました。
(キリスト伝道会「活水の群」に関する詳細はこちらをご覧ください。)
「活水の群」に所属する教会は、歴史的には同じ活水の流れを汲みつつも、「日本基督教団」に属する教会や「キリスト伝道隊」に属する教会など様々な違いがあります。しかしその違いを乗り越えて、ただ聖書のみを正典とし、旧新約聖書が誤りなき神の言葉であるとの正しい教えに基づいた信仰に立つ教会、活ける水の如く力溢れる福音的プロテスタント教会の群として今もなお歩み続けています。